セントラル パシフィック バンクのあゆみ


第二次世界大戦後、ヨーロッパ戦線で活躍したハワイの日系移民2世たちへ、アメリカ政府から大学で学ぶ権利が与えられました。しかしながら、卒業後に起業をしようとしても、当時のハワイには日系人や移民、移民2世といったマイノリティに融資をしてくれる銀行がありませんでした。

日系人や移民のための銀行を立ち上げた
「Go For Broke」の精神

そこで、自分たちのための銀行をつくろうと立ち上がったのが、セントラル パシフィック バンク創設メンバーである日系2世のサカエ・タカハシとエルトン・サカモトの2人でした。さらに、ヨーロッパ戦線の戦友であり、のちにホノルル国際空港の名前にもなったダニエル・K・イノウエが加わり、銀行設立の動きが本格化。3人を支えていたのは「Go For Broke(当たって砕けろ)」の精神でした。


日本の住友銀行のサポートにより
1954年「セントラル パシフィック バンク」誕生

3人の勇気ある行動は、ハワイの日系社会に大きな希望を与えました。資金を募ると多くの日系人が出資。3ヶ月間で目標額の2倍の金額が集まりました。しかし、苦戦を強いられたのが「経営陣には金融界に精通した有資格者が在籍すること」という銀行創設の必須条件。アメリカ中を探しても適任者が見つからない日々が続きました。

そんな時にサポートを名乗り出てくれたのが、日本の住友銀行でした。すぐに日本から必要な人材を派遣し、一から創設に携わり、1954年2月、ついに「セントラル パシフィック バンク」が誕生しました。開行当日は多くの日系人や移民系のお客さまが集結。建物の外まで長蛇の列を作り、自分たちのための銀行ができたことを喜び合ってくださいました。


時代を経て
コミュニティを支える銀行へと成長

中小企業向けのビジネスローンや個人向けの住宅ローン、自動車ローンなど、セントラル パシフィック バンクはお客さまへ各種ローンをご提供することで、移民系の方々が安心して生活できる基盤を作り上げてきました。設立以来、ハワイの地域に根ざした銀行として、お客さまのために寄り添い続けています。2008年のリーマンショックでは大量の不良債権を抱え、難局を迎えた時期もありましたが、銀行立て直しのエキスパートをアメリカ本土から招聘。無事に再建を果たしました。

2020年にはホノルルにある本社をはじめ各店舗をリニューアルし、ブランドロゴやキャラクター、デジタルバンキングを刷新しました。コロナ禍においては、地元の飲食店活性化に向けたキャンペーンや、エッセンシャルワーカーへランチを届ける取り組みなどを実施。これからもコミュニティに寄り添いながら、「ハワイで最も先進的な銀行」を目指してまいります。