1954年から続く、セントラル パシフィック バンクの歩み
セントラル パシフィック バンク(CPB)は、70年前、伝説的な第442連隊戦闘団、第100歩兵大隊、軍事情報部で活躍した日系退役軍人によって設立されました。彼らは第二次世界大戦後、ハワイの移民家族が直面していた社会的不平等に疑問を抱き、立ち上がったことことが、CPBの始まりです。
ハワイのすべての人々に卓越したサービスを提供し、地域社会に貢献するという創業者たちの目標は、時を超えて現在も受け継がれ、当行の未来に向けたビジョンの根幹となっています。創業70周年を迎え、創業者たちの揺るぎない献身に敬意を表するとともに、当行のこれまでの歩みを振り返りたいと思います。
お客さまとハワイのコミュニティへの貢献が、
私たちの誇りです
「当行が真にユニークであることのひとつは、ハワイの全コミュニティにサービスを提供してきたという伝統です。70年前、創業者たちがハワイのすべての人々のための銀行を夢見たときと同じように、お客さまと地域社会の金融ニーズをサポートするという私たちのコミットメントは今も変わりません。現在、当行は確固たる伝統と革新的な文化を融合させ、最新のデジタルによる利便性を提供しています。創業時から受け継がれた思いを胸に、お客さまとハワイの地域社会に貢献できることを光栄に思います」
- CPB社長兼CEO アーノルド・マルティネス
1953
プレートランチ作戦 − 草の根銀行
すべての始まりは、ここから
1953年3月4日、CPB(当初はCentral Bank of the Pacific)設立のための予備目論見書を提出。
プレートランチは、ハワイの庶民文化に根ざしたシンボルです。 戦後ハワイで最も重要な民間金融機関のひとつが設立されるに至った話し合いは、ウッドパネル張りの役員会議室や、プライベート・カントリークラブのゴルフ場で行われたわけではありません。当行のルーツは、アラモアナ・ビーチパークの木陰で、青い太平洋からのそよ風に癒されながら、若き創業者たちが話し合ったことにあります。彼らは定期的に公園の木陰に集まり、ハワイのローカル文化の象徴であるプレートランチを分かち合っていました。
“私たち二世は、根性はあっても頭脳はなかったし、お金もなかった。
私たちにあったのは、この夢だけでした”
マイク・トクナガ ー 第100歩兵大隊の退役軍人
1954
ささやかな始まり
1954年1月29日、CPBが認可。1935年以来ハワイで最初に開業した銀行となり、1922年以来初めて独自の認可を受けました。
ノース・キング・ストリート50番地、Yee Mun Wai, Ltd.の建物
100万ドルの資本金を手にしたセントラル パシフィック バンクは、ついにその道を歩み始めました。十分な資本を調達し、有能な経営陣を見つけ、非常に取得が難しい貴重な認可を獲得し、不利な状況だけでなく否定的な意見にも打ち勝ったのです。
銀行の実現が間近に迫るなか、創業メンバーは実際の営業場所の確保と建設に奔走しました。
元CPB理事のサカエ・タカハシは、こう語っています。「私たちの活動を支えてくれたのは、イー・ファミリーでした。同ファミリーの会社であるイー・ムン・ワイ社は、スミス・ストリートとキング・ストリートの角、ノース・キング・ストリート50番地に土地と古いビルを所有していました。そこに事務所があり、空きがあったため、1階を私たちに貸してくれることになりました」
セントラル パシフィック バンクの初代取締役と役員たち。(前列左から)ゴードン・タニオカ、トクヨシ・アワムラ、ミノル・ワタナベ、コウイチ・イイダ、サカエ・タカハシ、ミツユキ・キド、カズユキ・カワノ、(後列)ダニエル・K・イノウエ、ヒデオ・カジカワ、サダト・モリフジ、アーネスト・ハラ、タダオ・ニシオ、チャールズ・キムラ、キヨシ・ヨシムラ、エルトン・サカモト
"1万発の爆竹の轟音が、いつもの静寂を破り..."
銀行の正式な開業に際し、伝統的な中国式セレモニーに参加する役員たち
盛大なお祝い
1954年2月15日、CPBが9人の従業員とともにホノルルのダウンタウンに正式に開業。預金者の安全を確保するため、連邦預金保険公社(FDIC)にハワイで初めて加盟しました。
当時のニール・S・ブレイズデル・ホノルル市長も祝意を表しました
1954年2月15日の朝、1万発の爆竹の轟音がいつもの静寂を破り、ノース・キングとスミス・ストリートの角に煙が立ち込めました。中国の伝統的な縁起を担ぐ儀式が、新銀行の正式オープンを祝ったのです。新聞報道によると、その日の朝、最初の普通預金口座の開設者はカリヒのトクマツ・オカザキ様。最初の商業口座は、ダイヤモンド・ヘッド・メモリアル・パークのソン・ナム・クォン様とハリー・C・ウォン様によって開設されました。
“…日本人だけでなく、すべての地域社会に、より公平なサービスを提供できる銀行を”
ーダニエル・K・イノウエ
1955
より大きく、より広い意味を求めて
CPBの存在は、ハワイの金融機関において日系アメリカ人にチャンスをもたらしました。
静まり返った池に石を投げ入れると波紋が広がるように、新銀行のインパクトはすぐに地元の日系社会に伝わり、日系コミュニティは金融商品やサービスへのアクセス拡大を歓迎しました。
初期のCPBスタッフの写真
支店の拡大 - 地域社会への貢献
1959年にハワイ州が誕生するまでに、ダウンタウンの本店、カネオヘ支店、モアナルア支店、モイリイリ支店に加え、カイムキとカリヒにも支店を開設。従業員は総勢89名に
1956年、モイリイリ支店が誕生
1964年、カネオヘ支店の起工式を行う行員
1959年、カリヒ支店が設立
1961年、マキキ支店
- 本店 - 1954年2月15日
- モアナルア支店 - 1955年11月12日
- モイリイリ支店 - 1956年1月5日
- カリヒ支店 - 1959年12月2日
- カイムキ支店 - 1959年5月1日
- マキキ支店 - 1961年10月2日
- ヒロ支店 - 1962年9月4日
- ワイキキ支店 - 1964年6月11日
- カネオヘ支店 - 1964年11月28日
- カフルイ支店 - 1966年7月30日
- パールリッジ支店 - 1967年5月6日
- リフエ支店 - 1969年11月1日
- ケアヴェ支店 - 1971年6月5日
- ワード支店 - 1973年4月2日
- ワイパフ支店 - 1978年4月22日
- マプナプナ支店 - 1980年3月22日
- キング・スミス支店 - 1983年2月14日
- ハワイカイ支店 - 1987年12月5日
- カパア支店 - 1987年2月5日
- カイルア・コナ支店 - 1991年10月14日
- ミリラニ支店 - 1993年9月25日
1967
1967年、CPBのキング・ストリート50番地の店舗にメインフレームコンピューターを設置
急速な事業拡大に対応するため、CPBは60年代半ばから自動化に向けた重要な取り組みを開始しました。
当行初のメインフレームコンピューターをスミス・キング本社に設置。
NCR315システムは、過去の手作業による転記と元帳システムからの最初の大きな一歩でした。当初は主に日々のチェッキング口座の取引に使用されました。
1972
預金総額が1億6000万ドルに達し、CPBはハワイで3番目に大きな銀行となったという重要な節目を祝いました。
1969年には総資産が1億ドルを突破し、1979年には4億1000万ドルを超えました。1989年には8億ドルを突破しました。
1981
セントラル・パシフィック・プラザ
- 未来のシンボル
セントラル・パシフィック・プラザの基礎工事の様子
夢から現実へ
1981年7月14日、ホノルルのダウンタウンに建つ22階のオフィスタワー「セントラル・パシフィック・プラザ」が着工。
銀行の新しいロゴとともにセントラル・パシフィック・プラザの模型を展示するヨシハル・サトウ
キング・ストリートの本店はかなり混み合ってきており、銀行の首脳陣はもっと大きな場所を探そうと話し始めていました。
サービスの極意
“私たちは、お客さまに快適なサービスを提供できるよう努めています。私たちは地域コミュニティのための銀行です。そのために、まずは従業員が楽しく仕事をすることが重要なのです"
ーポール・ヤマシゲ - 元CPBマーケティング部シニア・ヴァイス・プレジデント
1982
CPB INC.
1982年11月23日、CPB Inc.が設立。ハワイで4番目のワンバンク持株会社に。
銀行の再編計画の下、規制緩和の課題に対応するために考案された最も重要な動きのひとつが、1982年11月23日に正式に設立されたCPB Inc.の存在でした。これによりセントラル パシフィック バンクは持株会社の一部となり、2000人以上の株主は株券を交換することで持株会社の株主となりました。
1982年、新社屋の建設が急ピッチで進行
1983
ホノルルのダウンタウン、キングとアラケア・ストリートの角にある「セントラル・パシフィック・プラザ」は、1983年以来、CPBの本店として使用されています
1983年2月、CPB本社がセントラル・パシフィック・プラザに移転。
セントラル・パシフィック・プラザ
「セントラル・パシフィック・プラザ」は、CPBの目覚ましい成長、そして未来への確かな決意を象徴しています。ホノルルの近代的なビジネス、金融、行政の中心地に近接し、CPBに高い知名度を提供しています。
1990
- インフォライン・サービス(1992年):法人顧客向けの電話による口座へのアクセスやレート情報提供サービス
- 新しいチェック・カード・プログラム
- テレホン・バンキング・サービス
CPBはハワイの銀行で初めて、3ヶ国語に対応するATMを導入しました
2005
当時のCPBのATM機
2005年2月22日、CPBとシティバンクが合併。 この統合により、セントラル パシフィック バンクの名称で合計37の支店、95のATMが営業し、約60の新商品やバージョンアップした商品が提供されました。
CPBの在り方
"私たちの強みは、CPBの企業精神に基づき、地域社会のニーズに応えることにあります"
−ポール・ヤマシゲ - 元CPBマーケティング部シニア・ヴァイス・プレジデント
2007
CPB財団は、パートナーシップ、コラボレーション、シグネチャープログラムを通してハワイのコミュニティの強化を支援するために設立されました。これらのプログラムは、最も必要とされているハワイの住民や企業をサポートするための投資とリーダーシップを提供し、ハワイが明るい未来への道を切り開くことを応援しています。
CPB財団は、多様性のあるコミュニティ、教育、中小企業、青少年スポーツ、農業や環境への取り組み、そして私たちのオハナ(家族)が可能性を最大限に発揮するための新たな機会創出をサポートするプログラムに力を入れています。
コミュニティへの奉仕
国際女性デーを祝うCPB財団のメンバーたち
2020
マスクを着用したCPBの従業員たち
世界的なパンデミックとそれに伴うロックダウンにより、地域コミュニティは大きな影響を受けました。このような困難な時期に私たちのコミュニティを支援する取り組みとして、CPB財団の支援によるプログラム「#KeepHawaiiCooking」が誕生しました。この取り組みは、食品消費を伸ばすためのリソースを提供することで地域住民の支援に尽力するとともに、ハワイの中小企業を支援するというコミットメントを実行するものでもありました。その目的は、大きな打撃を受けたレストランが危機を乗り切るだけでなく、再び繁栄できるよう支援することにありました。
2021
2021年1月26日、CPBは歴史的な変革を発表。 ブランドが新しく生まれ変わり、セントラル・パシフィック・プラザには新しいコミュニティ・スペースが誕生しました。デジタルファーストを掲げ、利便性を追求したさまざまな商品がリリースされました。
本店に併設された「タイドプール・マーケットプレイス」では、焼き菓子や花など、さまざまな商品を集めたポップアップ・マーケットが開催!
CPBの「タイドプール(Tidepools)」は、アイデアを形にする場所です。スターバックスでモーニングコーヒーを飲んだり、タイドプールの会議室で次のミーティングを予約したり、「アロハ・ベントー」で同僚と仕事後のパウハナを楽しんだり。気軽に利用できるコワーキング・コミュニティです!
タイドプールの会議室
CPBは中小企業を支援し、比類なきサービスを提供しています
世界的なウォールアーティスト、ジャスパー・ウォン氏
ビジネス界が最も助けを必要としていたコロナ禍、CPBは総額5億5000万ドルのPPPローン*¹を確保し、COVID-19の影響を受けた新規・既存のお客さまを支援。CPBはハワイの金融機関で最大となる、PPPローン全体の36.5%を提供しました。
*¹ PPPローン(Paycheck Protection Program)
2020年にCOVID-19の影響を受け、援助、救済、経済安全保障法に基づき設立された米国の給与保護プログラム
2024
2024年2月15日に創業70周年を迎えたCPBは、これからもお客さまの力となり、地域コミュニティのさらなる活性化に取り組んでいきます。
マウイ島に新カフルイ支店が誕生。マウイ・コミュニティのために心をこめたサービスが詰まっています